八幡平・安比スノーリゾートの歴史
八幡平・安比スノーリゾートの歴史
100年の歴史と極上のパウダースノーが融合した街
100年の歴史と極上のパウダースノーが融合した街
日本のスキーの歴史は、1911(明治44)年にさかのぼります。
現在の八幡平市にスキーが伝えられたのは、それから7年後の1918(大正7年)年頃と伝えられています。大人だけではなく、子ども達も大人の真似をしながら夢中でスキーを覚えていきました。八幡平市のスキーの歴史は、今から100年以上前から育まれていたのです。
今日の八幡平・安比スノーリゾートの起源は、「東洋一の硫黄鉱山」と謳われた松尾鉱山。鉱山の隆盛はこの地に豊かさをもたらし、後のスノーリゾートの礎を築きます。
現在では人気の高いウィンタースポーツとして知られているスキーですが、本格的なスキーブームが到来したのは1950(昭和25)年頃です。スキー人口が急速に増える以前から、松尾鉱山にはスキー部があり、当時すでに全国的な強豪チームとして知られていました。しかし松尾鉱山周辺には、まだ営業用のスキー場はありません。選手達は、山内にある練習用のスキー場で技を磨いていました。
松尾鉱山周辺に初めて営業用のスキー場がオープンしたのは、1952(昭和27)年1月27日。竜ヶ森スキー場と名付けられたこのスキー場のオープンには多くの人が集まり、アメリカの進駐軍まで参加するなど国際色豊かで華やかな盛り上がりを見せました。
しかし、栄華を誇った松尾鉱山は硫黄鉱石の需要がなくなったことで衰退していきます。事業の転換を図るための一手として、スキー場経営を含む観光開発に乗り出し、1962(昭和37)年頃に岩手県初のリフトを備えたスキー場として、八幡平国定スキー場をオープン。同じ年に八幡平観光ホテルも完成しました。それまで、ユースホステルやヒュッテしかなかった八幡平周辺に、本格的な鉄筋建てのホテルが誕生した瞬間です。八幡平の大自然を満喫し、スキーを楽しんだ後は宿泊もできるとあって、観光客は年々増加していきます。しかし、鉱山事業の斜陽には歯止めがかけられず、1969(昭和44)年に松尾鉱山はその歴史に幕を下ろしました。
同じ頃、松尾鉱山があった当時の松尾村(現八幡平市)では、温泉計画に端を発した地熱発電所の開発事業が活発化しており、1970(昭和45)年に東八幡平温泉株式会社が設立されました。宿泊施設の建設には、国鉄(現在のJR)や岩手県、日商岩井(商社)などが参入し、八幡平ハイツ、ライジングサンホテルなどが次々とオープン。1979(昭和54)年には、十和田八幡平国立公園の壮大な自然を活かした東八幡平スキー場が産声をあげ、「八幡平温泉郷」という観光リゾートが誕生します。
そしてこの地域がスキーリゾートして全国的にその名を轟かす決定的な一因となったのが、1981(昭和56)年の安比高原スキー場の開業です。バブル経済の全盛期には、安比高原の「APPI」のステッカーをマイカーに貼ることが、一大ブームとなりました。現在に至るまで、日本はもとより海外からも多くのウィンタースポーツ好きが集っています。
日本のように大量の降雪に恵まれる地域は世界的にも珍しく、なかでも八幡平・安比の雪は、水分量が非常に少ないパウダースノー。トップシーズンの新雪は、雪玉も作れないほどサラサラの軽い雪質です。
八幡平・安比スノーリゾートは、初心者から上級者まで、ウィンタースポーツを愛する世界中の人々から絶賛される、極上の雪質を堪能できるエリアです。
100年の歴史と極上のパウダースノーが融合した街
日本のスキーの歴史は、1911(明治44)年にさかのぼります。
現在の八幡平市にスキーが伝えられたのは、それから7年後の1918(大正7年)年頃と伝えられています。大人だけではなく、子ども達も大人の真似をしながら夢中でスキーを覚えていきました。八幡平市のスキーの歴史は、今から100年以上前から育まれていたのです。
今日の八幡平・安比スノーリゾートの起源は、「東洋一の硫黄鉱山」と謳われた松尾鉱山。鉱山の隆盛はこの地に豊かさをもたらし、後のスノーリゾートの礎を築きます。
現在では人気の高いウィンタースポーツとして知られているスキーですが、本格的なスキーブームが到来したのは1950(昭和25)年頃です。スキー人口が急速に増える以前から、松尾鉱山にはスキー部があり、当時すでに全国的な強豪チームとして知られていました。しかし松尾鉱山周辺には、まだ営業用のスキー場はありません。選手達は、山内にある練習用のスキー場で技を磨いていました。
松尾鉱山周辺に初めて営業用のスキー場がオープンしたのは、1952(昭和27)年1月27日。竜ヶ森スキー場と名付けられたこのスキー場のオープンには多くの人が集まり、アメリカの進駐軍まで参加するなど国際色豊かで華やかな盛り上がりを見せました。
しかし、栄華を誇った松尾鉱山は硫黄鉱石の需要がなくなったことで衰退していきます。事業の転換を図るための一手として、スキー場経営を含む観光開発に乗り出し、1962(昭和37)年頃に岩手県初のリフトを備えたスキー場として、八幡平国定スキー場をオープン。同じ年に八幡平観光ホテルも完成しました。それまで、ユースホステルやヒュッテしかなかった八幡平周辺に、本格的な鉄筋建てのホテルが誕生した瞬間です。八幡平の大自然を満喫し、スキーを楽しんだ後は宿泊もできるとあって、観光客は年々増加していきます。しかし、鉱山事業の斜陽には歯止めがかけられず、1969(昭和44)年に松尾鉱山はその歴史に幕を下ろしました。
同じ頃、松尾鉱山があった当時の松尾村(現八幡平市)では、温泉計画に端を発した地熱発電所の開発事業が活発化しており、1970(昭和45)年に東八幡平温泉株式会社が設立されました。宿泊施設の建設には、国鉄(現在のJR)や岩手県、日商岩井(商社)などが参入し、八幡平ハイツ、ライジングサンホテルなどが次々とオープン。1979(昭和54)年には、十和田八幡平国立公園の壮大な自然を活かした東八幡平スキー場が産声をあげ、「八幡平温泉郷」という観光リゾートが誕生します。
そしてこの地域がスキーリゾートして全国的にその名を轟かす決定的な一因となったのが、1981(昭和56)年の安比高原スキー場の開業です。バブル経済の全盛期には、安比高原の「APPI」のステッカーをマイカーに貼ることが、一大ブームとなりました。現在に至るまで、日本はもとより海外からも多くのウィンタースポーツ好きが集っています。
日本のように大量の降雪に恵まれる地域は世界的にも珍しく、なかでも八幡平・安比の雪は、水分量が非常に少ないパウダースノー。トップシーズンの新雪は、雪玉も作れないほどサラサラの軽い雪質です。
八幡平・安比スノーリゾートは、初心者から上級者まで、ウィンタースポーツを愛する世界中の人々から絶賛される、極上の雪質を堪能できるエリアです。